6大栄養素と同じくらい、もしくはそれ以上に知る必要がある(と個人的に思っている)食品添加物の問題。これは壮大なテーマであることに気が付きました。
というのも、最近読んだ食品添加物に関する書籍(注1, 2)の結論が、「これは危険だからやめなさい」というものではなく、もっと深い問題に切り込んでいるからです。
特に(注1)はそこそこ昔の本ではありますが、より多くの人が知っておくべき内容と思いましたので、要旨をまとめてみました。
添加物の抱える表面的な問題
添加物系の話題としてはもはや有名な話題と思いますので、本節にざっとまとめておきます。知っている人は読み飛ばしてください。
添加物そのもののリスク
例えばイギリスでは、「危険とは断定できないが安全ともいえない」という見解から、一部の合成着色料(黄色5号など)を使った食品について「子どもの活動や注意力に悪影響を与える可能性があります」と表示されている。日本でも天然着色料として使われる「コチニール色素」によって呼吸困難などの急性アレルギー症状の発症例が報告されたとして、2012年5月に消費者庁と厚生労働省が注意を呼びかけたことがある。
その他にも合成着色料(赤102、赤3など)、発色剤(亜硝酸ナトリウム)、合成保存料(ソルビン酸など)、防カビ剤(OPP、TBZなど)、合成甘味料(サッカリンナトリウム、アスパルテーム、アセスルファムKなど)など、使用が認められておりながらも安全性が疑問視される添加物は多くある。
複合接種による問題
添加物は厚生労働省がひとつひとつ毒性のテストをして、一定の基準を満たしたものが認可される。ただし、それは単品使用の場合においてのテストであって、複数の添加物をいっぺんに摂取したらどうなるか、という実験が十分になされているわけではない。問題は、複数の添加物が一つの食品の中で混ざり合うことで、化学反応を起こす可能性があるということ。実際問題として、清涼飲料水に入っているビタミンCと、保存料の安息香酸Naが食品中で反応して、発がん性のあるベンゼンが作り出される、ということが日本でも起こっていた。
一括表示の問題
乳化剤、pH調整剤、調味料(アミノ酸等)、香料、酸味料など、いくつかの添加物を一括して表示すること。見かけ上は添加物の使用量が少なく見えるため、消費者は知らずに多くの添加物を複合接種してしまう。
また、食品メーカー側の意図によってどの一括表示に含めるかを変更できてしまう。たとえば保存料、乳化剤、味の改善など様々な効果がある”クエン酸ナトリウム”は本来保存の役目で使っているのに、「”グルタミン酸ナトリウム(化学調味料)”と一緒に調味料として使った」ということにすれば”調味料(アミノ酸等)”の中に潜り込ませることができてしまう。チーズに使えば「乳化剤」にもできてしまう。
表示免除の問題
次のような場合には表示が免除されている。
表示がされないために消費者はどんな添加物が使われているのか知ることができない。
①キャリーオーバー
原材料から持ち越される添加物は表示しなくてよいという決まり。例えば焼き肉のたれをつくる際には、原材料に醤油が使われるが、その醤油に含まれる添加物は表示されない。
②加工助剤
加工食品をつくる際に使われた添加物のうち、食品の完成前に除去されたり、中和されたりするものは表示しなくてよいという決まり。例えばカット野菜は切り口が茶色くならないように殺菌剤(次亜塩素酸ソーダ)のプールに何度も入れたり、シャキシャキ感を出すためにpH調整剤のプールにつけていたりする。それらの添加物は表示されない。
③バラ売りおよび店内で製造、販売するもの
ベーカリーショップのパン、スーパーの総菜など。(惣菜は自主的に原材料を表示するところが多いが)
④パッケージが小さいもの
コーヒーフレッシュや一口サイズのお菓子など、パッケージが小さい場合は原材料を記載しなくてよいという決まり。ちなみにコーヒーフレッシュはミルクではなく、植物油に水を混ぜ、添加物で白く濁らせ、ミルク風に仕立てたものであり、7~8種類の添加物が使われている。
不純物
添加物を合成するときに生じる不純物の問題。
コーラなどのカラメル色素に含まれる、4-メチルイミダゾール(発がん性物質)など。こうした不純物には基準が定める動きがあるが、追いついていないものもある。
塩分、油分、糖分の摂りすぎを引き起こす
これらの摂りすぎに対して私たち人間がもともと持っている防衛本能を崩してしまい、結果的に摂りすぎにつながる。
例えば、砂糖50[g]の入った水は飲めないが、同じ糖分量の清涼飲料水なら平気で飲めてしまう。油大さじ約4杯入りの野菜炒めはとても食べられないが、同じ量の入ったカップ麺なら平気で食べられてしまう。
より深い問題とは
結論から言いますと、「食育」の機会がなくなることが問題です。
そして食べ物の大切さを忘れた我々は日本の食文化を壊し、家庭を壊し、社会を壊していくというのです。
食べ物が安易に手に入ると思ってしまう
安易に加工食品に頼ってしまうことにより、子どもたちに「食とはこんなに簡単に手に入るものだ」と思わせてしまいます。なんでもかんでも食べたいときに食べたいものが好きなだけ手に入る、そこには食に対する感謝の気持ちが生まれるはずはなく、食べ物を大切にすることができないのではないでしょうか。食べるとは命をいただくことでありますから、食べ物の大切さがわからないということは命のありがたみもわからないのではないでしょうか。命のありがたみがわからないということは簡単に人を傷つけてしまうのではないでしょうか。
日本の食文化の崩壊
食の要である”調味料”がいつの間にか添加物でつくられた安価な「ニセモノ※1」にすり替わっていることにお気づきでしょうか?一昔前ならまだしも、長期デフレ経済によって貧困化した我々は安価な「ニセモノ」に飛びつきます。子どもたちはそのまがいものの味を「本物」だと覚えていってしまいます。日本が世界に誇る和食が、基本調味料から崩れようとしているのです。
※1 しょうゆ風調味料(新式醸造しょうゆ、混合しょうゆ)、みりん風調味料、だしの素(”たんぱく加水分解物”によるうまみ)、速醸法の味噌、精製塩、化学調味料、三温糖風の上白糖(”カラメル色素”で着色)、etc…
社会の崩壊
親は「インスタントラーメンはだめ」「スナック菓子はだめ」と言いながらも、レトルト食品や半調理食品、出来合いの総菜による家庭料理を提供します。使っている調味料も「ニセモノ」です。添加物まみれの子どもの舌が慣らされてしまい、健全な舌が育たなくなっています。食の崩壊は食卓の崩壊、やがて社会の崩壊にもつながります。
我々に求められることは
まず私たちができることは、上述のような”問題があるということ”を知ることです。
そして添加物のメリットとリスクを同時に考えて判断しましょう。
(添加物のメリットは「安さ」、「手軽さ」、「便利さ」、「見た目がキレイ」、「オイシイ」。リスクはこれまでに述べた通り。)
特に「見た目がキレイ」というのは、メリットが勝りうることでしょうか?
キレイなピンク色をしたハムや明太子は、”発色剤”で鮮やかに見せかけているだけです。発色剤を使っていないハムや明太子はキレイなピンク色ではありませんが鮮度が低いのではありません。もともとそういう色なのです。
ただし消費者がそれを知らなければ、「キレイな方が美味しそう」と思って買っていきます。見た目がキレイな方が売れるので、食品メーカーも「キレイ」に見えるようにつくるようになるのです。
「添加物のことを気にしていたら何も食べられなくなる」とか「毎回食材を買ってきて手作りで料理を作るなんて無理だ」とか反論はあるかと思いますが、1か0かで考えるべきではありません。実際、添加物をゼロにすることは厳しいでしょうが、なるべく少ないものを選ぶとか、たまには手料理する、といった選択は比較的容易にできると思います。
自分にとって、家族にとって何が大事なのか優先順位を考えてみることです。
所感
と、ここまで書籍の内容をまとめてみました。
結論「食育が大事である」という話なのですが、農薬や遺伝子組み換え作物の問題と全く同じなんですよね。実際(注2)には農業の話も出てきます。
野菜も、形の揃った大きな野菜を旬など関係なく安定供給してほしいという消費者のニーズに農家が農薬で答えているのですから。
作中にて、もともと食品添加物のセールスマンであった著者が、添加物で作った(確か)出汁をプロの料理人に試食してもらい、「ふざけるな」と怒られた、というエピソードが述べられていました。
プロですから、味の違いがわかるというのです。これは完全に個人的な考えなのですが、本物と偽物の違いが明瞭にわかるというのはかっこよくないですか?
私も本物が美味しいと感じる健全な舌を育てたいと思ったので、添加物を使わないで頑張っている食品メーカーを応援したいと思った次第です。
参考
注1) 安部司 (2005) 『食品の裏側―みんな大好きな食品添加物』東洋経済新報社
注2) 安部司 (2014) 『食品の裏側2 実態編―やっぱり大好き食品添加物』東洋経済新報社
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