”経済学”は根本から間違っている、という趣旨の本を読みまして、実際その通りだなあと感じました。(経済学にも種類があるのですが、ここで言っているのはいわゆる主流派経済学のことです。)
今回は経済学がどういう風に間違っているのかについてまとめてみます。
※本記事は下記の書籍の内容を要約したものとなります。
三橋貴明(2018)『経済学が引き起こした2つの大罪』 経営科学出版.
経済学の誤り
誤り① 存在しない経済人を前提としている
経済学は、経済人という人間の活動を前提としています。
この経済人というのは、”経済合理性のみを追求する人間”のことです。もう少し具体的に言うと、恋することとか、絵画をめでることとか、子どもを愛することとか、国家の安全保障に尽くすこととか、そういった価値観を一切考慮しない人たちの事です。
そして、経済人は市場で同じ情報(製品の情報とかサービスの情報とか価格情報とか)を共有しており、そのうえでフェアに競争して取引をすることで効用※1が最大化される、というのが経済学です。
※1 効用: モノやサービスに対する欲求を満たせるかどうかを判断基準にして図られるもの
これに対する批判は昔から存在しています。例えばドイツの経済学者フリードリヒ・リスト(1789-1846)は「豚を育てる人間は生産的であるが、子どもを育てる人間は非生産的である」と言いました。要は、「豚を育てる人は、育てた豚を売買して設けるという経済合理性の概念に基づいているから生産的でよろしい。しかし子どもを育てている人は、子どもを育てることで儲けを得ないので生産的でない。だからだめなんだね。」という経済学に対する皮肉です。
我々人間は、リストが言うように豚を育てるよりも子どもを育てること一生懸命だったり、色々な価値観があります。経済合理性のためだけに生きているわけではありませんね。
しかしながら、この前提に基づいて進化してきたのが経済学なのです。
誤り② セイの法則
経済学にはセイの法則というものがあります。これは、”生産物は、必ず何らかの別の生産物と交換される”という物々交換の世界を前提としたものです。
物々交換の世界というのは、つまりは商品貨幣論(【経済】MMTの理解、まずは信用貨幣論からの2章参照)を生み出してしまう諸悪の根源なのですが、商品貨幣論というのは間違っています。
(というか、経済学が商品貨幣論という”間違っているけど、なんとなくそんな気がしてしまう”考えに基づいた学問であるため、みんなが勘違いをしてしまっているのですが。)
セイの法則は、需要(D)と供給(S)の関係を次式で表しています。
D1 + D2 + D3 + … Dn ≡ S1 + S2 + S3 + … + Sn
※≡とは、完全に一致する、という意味です。
この式は「生産された生産物には、必ず交換される生産物が存在する」と言っています。
ここで日本経済を思い出してみましょう。日本は長期にわたって続いているデフレ経済にありますが、デフレとは需要が供給よりも少ない状態のことを言います。
仮にセイの法則が成立するならば、生産されたら必ず別のものと交換される(=需要がある)のだから、デフレギャップが生じることはありません。しかし、現にデフレは起きています。つまり、セイの法則は、デフレがなぜ起こるかを説明できないのです。
そもそも人々は所得を全て使うでしょうか?銀行預金として残すこともありますよね。セイの法則のもとでは、”銀行預金として残す”ようなことは考えられておらず、別の生産物と交換する、というのだから明らかにおかしいことがわかるかと思います。
経済学が引き起こす問題
問題① 政治家が経済学に影響を受けてしまう
ここまで述べた通り、経済学はあり得ないことを前提としています。しかしながら、”経済学があり得ないことを前提としている”ことを知らない政治家は「今の経済はこうなんですけど、どうしましょう」と経済学者に聞いてしまうのです。経済学者としては当然、自分がずっと勉強してきた経済学に基づいて答えます。そのため、政治家が間違った判断に流されてしまいます。
問題② 経済学が根底から間違っていることを認識していながら、それを活用する人たちがいる
いわゆるグローバリストのことです。グローバリストが、根底が間違っていることを知りながらも自分の利益追求などのために経済学を活用しています。
なぜ規制緩和を積極的に進める政治家(や竹中平蔵)が存在するのでしょうか?規制というのは、国民の安全を守りましょうとか、品質を維持しましょうとか、それなりの理由があって存在しているものです。規制を撤廃し、過激な価格競争をするビジネスだけになると、品質が悪くなったり、仕事がきつくなったり、最終的に国民が困ることになります。
規制緩和すると消費者が困る代表的なものは、選択肢が狭いサービス(医療サービス、水道、ガス、電気など)です。
これらは選択肢が非常に狭く限られていますから、経済合理性に基づいて価格が決められてしまったら価格はどこまでも上がっていきます。消費者としては規制緩和されたり、民営化されたりすると困ることになります。だからこそ規制が存在するのです。
しかし、規制が自分のビジネスにとって邪魔だと思う人たち(竹中平蔵などをはじめとするグローバリスト)にとって、経済学は都合がいい学問です。何しろ根底が自由に競争することで効用が最大化される、というものですから、経済学は初めから規制緩和を推奨しているのです。
我々にできることは?
まずこういった事実を知ることではないかと私は考えます。
「規制緩和」とか「自由貿易」とか「構造改革」とか「既得権益である農協を解体しろ」とか、いいことをしているように思っていませんか?(現に私は数か月前までは、多くの政治家は日本のために頑張っているのだと思っていましたし、これらはそのために必要なことだと思っていました。)
実際はその逆で、最終的に消費者が困ることになるのです。そのような政策や思想を持つ政党や政治家の耳当たりのいい言葉に惑わされないようにしなければなりません。
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